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映画「gifted/ギフテッド」感想/才能は人間を幸福にするか?

ざっくりあらすじ

若くして自殺した数学者ダイアナ・アドラーの娘、メアリーは7歳にして大学レベルの数学を理解する特別な才能(ギフテッド)を持っている。

姉の死後、メアリーを引き取って育てた弟(メアリーの叔父)フランクは、数学以外のことを知らず、命を絶つことになった姉の二の轍を踏ませないよう、メアリーを普通の子供と同じように育てたいと願っているが、普通学級の授業はメアリーには退屈過ぎて、教師への反抗的態度などを問題視されギフテッド向けの学校へ行くことを勧められる。

そんな中、マサチューセッツからやってきたフランクの母(メアリーの祖母)イヴリンはメアリーの才能を伸ばすべきだとフランクの方針と真っ向から対立し、どちらがメアリーを養育するか裁判で争うことに……

監督は「アメイジング・スパイダーマン」シリーズのマーク・ウェブ、主演で叔父役のフランクは「キャプテン・アメリカ」のクリス・エヴァンス。以下、ネタバレ感想。

メアリーの選んだ「愛情」

gifted/ギフテッド - Wikipedia 詳細なあらすじはWikipediaに載っているので割愛。

ロケーションも美しく、人物描写にもよく気が配られている佳作ですが、メアリー役のマッケナ・グレイスがとても良かった!

自分が正しいと思えば大人相手でも意見を通し、傍若無人で怖いもの知らずのように見えるメアリーですが、母が自分を残して死を選んだことから、自分は他人(母)にとって必要のない存在ではないかという見捨てられ不安も抱えています。

作中でフランクが自分を手放そうとしている気配には特に敏感であることが描かれていますし、実の父親が自分に関心がないことを知らされた時も取り乱しています。

祖母のイヴリンはiPadを買ってくれて数学も好きなだけやらせてくれる。自宅にはフランクが買ってくれないピアノもある。

メアリーはイヴリンと過ごすのは楽しいとしつつも、偉そうだから一緒には暮らしたくないと言い、数学の才能がなければ自分に関心を持たなかったであろうイヴリンの「条件付きの愛情」を敏感に察知しています。

メアリー自身は退屈な学校に行けといい、ピアノも買ってくれないけれど、「無条件に愛してくれる」大好きなフランクとそのまま暮らすことを願っているのですが、フランクはメアリーを里親の元で過ごさせ、数年後にどちらと暮らすかをメアリーに選ばせる折衷案を飲んでしまいます。

フランクはメアリーに子供らしくあって欲しい、自殺した姉のようになって欲しくないと願いつつも、メアリーの卓越した才能を自身のエゴで潰してしまっていいのかと葛藤していて、メアリーを思うが故にメアリーの本意でない行為をしてしまうのですね。

子供の取り合いで先に手を離した方が実母という理屈によく似ています。

夢を追えなかったイヴリン

かといって、祖母のイヴリンが完全な悪人かというとそうではないのは、裁判では対立しているものの、フランクと和やかに会話を交わすシーンもあることから伺えます。とはいえ、フランクは数学の才能がない=イヴリンにとって特別な関心を寄せる相手ではないからこその和やかさという感じもあるのですが……

その人となりがどのように形成されたかを見ると、「女性であるが故に夢を追えなかった」ことに由来する部分が大きいです。

イヴリン自身も若い頃はケンブリッジ大学で数学を学んでいた才女でした。きっと「数学者として名を残すこと」が夢だったのでしょう。しかし、結婚し家庭に入ったことでイヴリンは数学から離れてしまいました。

娘のダイアナが自分の数学の才能を継いでいることを知って、イヴリンは自分が追えなかった夢を娘のダイアナに託します。

イヴリンとダイアナが一緒に写っている写真は、孫のメアリーから見ても仲睦まじいものに見えていましたが、実際は、初恋の相手と駆け落ちしたダイアナを連れ戻し、相手を誘拐犯だと訴え、連絡が来なくなるまで裁判を起こし続けるという常軌を逸したものでした。

それほど過保護であったにもかかわらず、ダイアナの妊娠を知り、娘が自分の思う通りにならなかったことを知ると、イヴリンはダイアナを見捨てて絶縁します。

イヴリン自身は結婚し数学を捨てて母であることを選んだのに、娘のダイアナにはそれを許さなかった。ダイアナは数式を解きながらも、イヴリンの死後まで公表しないで欲しいとフランクに言い残し、自分を見捨てた母に復讐で応じます。

この辺りの母子癒着というか自他未分的な構図は映画のメインではないものの、よく描かれていると思います。

最終的にダイアナの証明はイヴリンとの取引材料としてメアリーを救うことになるのですが、ダイアナの生前の行いに娘のメアリーへの愛情が介在していたようにはどうにも思えません。

メアリーの父はメアリーに関心がなく、イヴリンはメアリーに数学の才能がなければ関心がない。フランクだけがメアリー個人と向き合っている。

数学者になってほしくないと思うならば、普通真っ先に数学を取り上げてしまうところを、メアリーの好きにさせていたあたりも、メアリーを尊重しているところで素敵だなと思いながら見ていました。

でも、それはフランクが数学の才能がなかったことで、母や姉から叔父だからこそできたことなのかもしれません。

子供を自分と別個の存在として育てること、1人の人間として認識することの難しさはアメリカでも変わらないのだなぁ、と。

日本ではアメリカやフランスのような、ギフテッド教育への取り組みが遅れていますが、最近ようやく試みられるようになっているとのこと。

私個人としてはメアリーのような優秀すぎて周囲に馴染めない子の受け皿があるといいなとは思うのですが、作中のイヴリンや一部のお受験にも見られる加熱した教育競争にはいまひとつ賛同できません。

しかし、ピアノやバレエのように早ければ早いだけいい分野があることも確かで、どこまでが親の意思で本人の意思なのかという線引きは難しいです。

私自身は子供はいませんが、自分の子供がギフテッドだったら、きっと先回りするようにバックアップしてしまうと思うので、メアリー視点でイヴリンを恐れながらも、自分がイヴリンになり得る可能性を考えさせられる映画でした。