そとでよ - 元ひきこもりの気ままな暮らし

元ひきこもりの気ままな生活。ひきこもりをしていましたが就職しました。

又吉直樹の「夜を乗り越える」を読みながら元ひきこもりが色々語ってます

平積みされてたのをぱらっと見たら面白そうだったので就活の現実逃避に買いました。 ちなみにあれだけ売れた火花は読んでません。 でも、この本読んだら読みたくなってきました。

お笑いは一時、好きだったんですが、2010年以降の流行には疎く、ピースもそれほどよくは知りません。又吉に関しては、アメトーークのネガティブテーマの印象がほぼすべてです。

私はインパルスの板倉の考えるネタに出てくる登場人物のとにかく生きづらそうな滑稽さと、それでいてどっかにいそうな感じがリアルで好きなんですけど(AMAEBIとかキジの憂鬱とか)、人見知りで交流せまい板倉が又吉とは仲がいいらしいという話を見て興味を持ちました。

東京NSC4期のインパルスと5期のピースは直接の先輩後輩だそうで、アメトークの暗かったけど明るくなってきた芸人では、養成所時代、暗すぎて「死神」と呼ばれていた又吉の話がありました。死神の称号は板倉→又吉→ハリセンボンの箕輪と三代にわたって襲名されていたものだそうです。

本の内容はおおまかにまとめると、又吉の幼少のエピソードから、彼の人間性が構築されるまで、本との出会いなどが描かれ、NSC入学、芸人になってから火花を書くに至るまでの、又吉の創作歴なんかが丁寧に追ってあり、ところどころに印象的な文学作品との出会いとして、太宰や芥川の作品が語られてます。

蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇 (岩波文庫)

蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇 (岩波文庫)

又吉がどうも笑いに対して、後ろ向きというか屈折したところがあるのは、幼少期に親戚内でウケを取ってうれしい気持ちでいたときに、父親から「調子乗んなよ」と言われたことが大きいようです。 人を笑わせたいという気持ちと、調子に乗ってはいけないという呪縛が同時に又吉に与えられた、確かに又吉本人にとって特筆すべきエピソードだと思います。

幼少期の体験って、確かにその後の人間性の大部分を決定するよなぁと、自分のことも思い出しました。 私は家庭環境といじめのために、幼稚園でため息ばかりついている子供でした。 ある日、あまりに私のため息が鬱陶しかったのか、保母さんが「暗いのが移るから、ため息をやめて」と言われました。 私の通っていた幼稚園はその後に園長が逮捕(?)されたり、保母さんが短期間で変わったりとろくな幼稚園じゃなかったんですが、その保母さんはわりと好きな先生だったので、その先生に疎ましく思われていたというショックと「私にはため息をつく権利もないのか……」と絶望した印象が強烈に残ってます。

別にため息をつきたくてついてるわけじゃないのに、原因を解決せずに、ため息だけやめろってのはないよなぁと未だに理不尽だと思ってます。 人前でため息つかないくらいの分別はつきましたが……そういう意味ではいい経験だったんでしょうか。でもトラウマです。

又吉にとっては、太宰の「人間失格」との出会いが、自分と同じような人間が他にもいることを知って、屈折と疎外感の溶解に繋がったようでしたが、私にとっては「若きウェルテルの悩み」がそうでした。

人間失格 (角川文庫)

人間失格 (角川文庫)

7歳ごろからずっと死にたい気持ちを抱えていて、その事を親戚に言ったら「そんなことを言うもんじゃない!」と、7歳児が死にたくなる経緯も聞かずに、頭ごなしに叱られた経験があり、やっぱりこれもトラウマなんですが、小5の本格的に不登校になった頃に読んだ「若きウェルテルの悩み」の中で、自殺が最後に人間が選ぶことのできる「自由感」として語られている一節

そういう人間はどんなに浮世の束縛を受けていたって、いつも胸の中には甘美な自由感情を持ち続けているんだ。自分の好む時に、現世という牢獄を去ることができるという自由感さ

という文を読んで、私自身が肯定されたような気持ちになったことをよく覚えています。 死んだら墓に入れてもらおうとはじめて思った一冊です。

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

海外文学は翻訳者の趣味も出るのが面白いですね。比べ読みもしましたが、私はやっぱり最初に触れた高橋義孝訳。

改めて考えてみましたが、好きな本は色々ありますが、墓に入れて欲しいと思ってるのは未だにウェルテル一冊だなぁと思います。 漫画なら萩尾望都先生の「メッシュ」で、映画なら「ガタカ」。音楽ならCoccoの「Raining」ですね。

Raining

Raining

HELL SEE

HELL SEE

その後、趣味で西洋史をかじるうちに、キリスト教世界における自殺の禁忌性などを知って、別方面から当時この作品が投じたメッセージの偉大さを知ることにもなりましたが(マーク・トウェインのサタンも、キリスト教勉強してから読んだらラストでまた違った感動がありました)

ちなみに、又吉が同期である平成ノブシコブシの吉村に「若きウェルテルの悩み」を勧めたところ、途中で挫折され、未だに「俺が本嫌いになったのはお前のせいだ」と言われるそうです。 その件を指して、本を人に勧めることの難しさを語ってもいます。吉村……(笑)

色々考えて生きてそうだけど、騒ぎもせず人畜無害そうな又吉が、実際はかなりきついことを考えながら生きてるんだなぁというのがまず驚いた点です。

本を売るためには普段本を読まない人にも手を取ってもらわないといけないのに、内輪の褒めあい貶しあいで少ないパイを喰いあってる文学批評に対する「楽な仕事やな」とか、あまりの冷ややかさにぞっとするくらいです。

火花を書く前に、普段あまり本を読まない芸人仲間に読んでもらい、文学を高く評価しているからこそ、文学を狭い世界のものにしたくないという又吉の考え方は真っ当だし、すごく頭のいい人なんだなぁと思います。

夜中に出歩いて事件に巻き込まれた子供の親を責める世間に対しての意見とかも、はっとさせられるものがありました。

オリエンタルラジオあっちゃんこと中田敦彦がなぜ又吉は自分のように反感を買わないのかと不思議がっているエピソードも出てきます。 又吉は中田を三島、自身を大宰に準えて、キャラクター性の違いについて述べていますが、この本を読んでいて感じることは、又吉は意見の主張はしても、それの正しさに拘泥したり、人に強引に押し付けるようなことはしない人なんだなということです。 多分又吉自身がそうされるのを好まないからなんでしょうが、又吉が本に自分が知らない誰かを求めるように、常に自分以外の新たな物の見方を探しているようにも感じます。

そのどこか傍観者的な態度が、憎めないというか、そういう味になってるんだと思います。

又吉が先輩の家で長編小説読んでて「お前、それはあかん」とダメ出しされたけど、何が悪いかわからずそのまま小説を読み続けたって話が好きです。 本に名前は出てないんですけど、その先輩はたしか次長課長の井上のはずです。 板倉も又吉が芥川賞を受賞する前に、小説論をぶってしまったことを後悔していたりするようですが、何か書き終えた後に、人に色々話したい気持ちはわかります……。

そんなわけで、この本は私にとっても新たな視点を提供してくれた面白い一冊でした。 本文中で触れられている作品も読んでいないものが多いので(何しろ中高と全く学校に行ってないので、太宰も芥川も夏目もほぼ手付かずという暗黒大陸ぶりです)、火花も近いうちに読んでみようと思います。